はじめに

「骨抜き」じゃなくて、「骨なし」。

だらしない体たらくな人のことを「骨なし」と称することがある。

私もあまり強い意志を持って物事に取り組むタイプじゃないので、私も「骨なし」だと言える。

なんだか「無骨」というとそっけない真面目な意味になるのに、「骨なし」はただのやる気のないやつみたいな意味しかないのには納得がいっていない。

ちなみに「無骨」という言葉は元々「骨無(こちなし)」だったらしく、中世以降から今の聞き慣れた「無骨」になったようだ。

「骨がない」という一つの言葉が持つイメージから、「骨なし」「無骨」「骨無」とバリエーション豊富に発展している。

しかも全国的に使われている言葉だけでなく、「きなしぼ」という京都の方言も意味もまた、「やる気がない人」である。



身体と言語

身体は身近な存在だからこそ、言語と強い関わりがある。

熟語やことわざに身体のパーツを使うものが多いことからもわかるように、それぞれが様々な意味やイメージを持つ。

骨がなければ身体が支えられないのでだらしないから「骨なし」。

何かに夢中になって他が見えなくなるから「目がない」。

よく聞こえるように耳を研ぎ澄ませるから「耳を澄ませる」。

手でも足でもどうしようもできないから「手も足も出ない」。

日本語だとざっとこんな感じ。頭の天辺から爪の先までなんでもかんでも何かを表す言葉として使われる。

コレは言語問わず通じる特徴で、その身近さから身体のパーツは熟語として使われがち。

「なるほどね~。」となるものから、「…そうか!…そうか…???」とイマイチ納得できないものもある。

身体のパーツを表す単語に限らず、外国語でも同じような印象を持たれている単語があるとなんの関係もないのに嬉しくなってしまう。

そういうのを見つけてはメモして、外国語経由で日本語になったのか、それとも偶然的にそういう意味になったのかというのを調べている。

なんの意味もないのだけれど、この世はなんの意味もないことに面白さがある。意味のないことは楽しいのだ。



今日の単語

さて、今日紹介するのはスペイン語で『骨なし』を意味する言葉「sin hueso」。

"sin" は「~がない、~なしで」という意味を持っていて、"hueso"はシンプルに「骨」。

そういうわけで直訳すると『骨なし』。

ちなみに日本語みたいに根性がないやつとか、やる気が無いやつみたいな意味じゃない。

これ実は「身体のパーツを使って身体のパーツを表現している」というよくわからん単語なのである。

身体で骨がない部位、または骨がないくらい柔らかい部位。そういうふうに考えたのかもしれない。



『骨なし』

これ実は『』という意味。

確かに骨はなさそう。でも本当に骨がないのか気になったので調べてみたら、確かに"舌"には骨がなかった。

あのよく聞く"舌骨"。どうやら舌の中ではなくて、舌の付け根で筋肉を支える位置にあるらしい。(でも舌骨なんて、サスペンスでしか聞かないな。首吊ったりするとよくこのワードが出てくる。まぁ実際、サスペンスの自殺は高確率で他殺だけれども。)

というかそもそも単語のややこしさが凄い。どの段階でこの部位骨がなさそう、って思ったかも気になる。

1700年代に急に現れた単語のようだが、全く浸透していないし、その前から伝統的にある"舌"を意味する単語が今でも使われているしで、なんで急に登場したのかよくわからない。流行んなかったんだろうか。

ちなみに検索すると人間の舌よりも「タン」が出てくる。タン塩が食べたくなった。

それに"hueso"が「種」を意味することもあって、「種無し〇〇」がよく出てくる。フルーツが食べたくなった。

骨について真剣に調べて休日が終わった。もったいないことをした気がする。当分骨はいいや。

おわりに

日本語の「骨なし」のイメージからいくと、まるで役に立たない部位みたいになってしまうが、人間もう「舌なし」で生きていけないのである。

舌って身体の中でもかなり重要な役割を担っているのに、なんだか存在感が薄い。

目に見えないからか?舌の整形とかあるのかな?


もっと舌に目を向けてあげたい。

「骨なし」だけど、味を感じ取ったり、言葉を発音したりと重労働気味。

結構縁の下の力持ちの、がんばり屋さんだから。




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